外科の副部長に直接学ぶ
次の日から千里は早朝に家を出た。図書室に行き、解剖学の教科書を開いた。胃に流入する血管はこれとこれ。肝臓にいく血管はこうなっている。乳がんの手術では大胸筋や小胸筋を取ることもある。筋肉の下にはこういう血管がある。
そうか、あの手術の手順にはそういう意味があったのか。外科学の教科書も開いた。外科学とは解剖学の応用である。解剖が分かっていないと、なぜその手順になるかが理解できない。図書室通いが続く中で、千里には今まで見えないものが見えてきた。
ただ、教科書だけでは理解しきれないこともあった。そこで千里は手術が終わると医師室に足を運び、外科の副部長に手術術式を教えてもらった。
外科はスタッフは7名。部長と副部長がチームを引っ張っている。この二人は年齢がやや離れているが、実力は二人ともピカイチだった。部長に聞くのははばかられたので、千里は副部長のところに行ったのである。
「いいですよ。何でも聞いてください」
「乳がんの手術はいろいろ術式があると思うんですけど、何がどう違うんですか?」
「ああ、マンマ(乳がん)ね」
副部長は絵を描いて説明してくれた。
「これがハルステッド。定型的乳房切除術。皮切(ひせつ)はこう。大胸筋も小胸筋も摘出します。こっちの絵はペイティ法。大胸筋は残しますから縮小手術です。それから、こっちの絵はスチュアート。拡大リンパ節郭清をします」
「どういうふうに使い分けるんですか?」
「がんの手術は拡大すればするほど根治の可能性が高まります。しかし同時に術後の後遺症が大きくなります。がんが広がっていれば、それだけ手術も拡大しないといけないわけですが、進行している患者は拡大手術をやっても結局、根治を得られないこともあります」
「難しいですね」
「難しいです。外科学って手術適応を決める医学なんです」
千里には、初めて聞くような話だった。