千里の気合
千里はその数々に圧倒され……なかった。たくさんの器械を見せられて名前を教えられても、まったく混乱しなかった。千里にはここで生きていこうという気合があった。だから覚えるのは当たり前である。そして実際のところ器械の名称を覚えるのは苦にならなかった。はっきり言って3南病棟で患者の検査データを覚えるより簡単である。
開腹一式を基本にして、それより単純な手術、たとえば胆嚢(たんのう)摘出術なら器械を減らせばいい。それより複雑な手術、たとえば胃の全摘出術とリンパ節郭清ならば、さらに器械を増やせばいい。器械室にはステンレス製の棚に、種類ごとに器械が収納されていた。リーダー看護師は、引き出しを一つずつ開けて器械を見せてくれる。これが、GIA……消化管自動吻合(ふんごう)器みたいに。
名前を覚えれば次は使い方だ。ただし、器械の使い方は、術者によって「好み」みたいなものがある。それでも一般的なルールはある。特に注意しなければいけないNGルールを厳しく教え込まれた。
角針を持つ持針器は、かならずマチュー。丸針の場合はヘガール。ヘガールは先端がダイヤモンドになっているので、角針を持つと傷む。
コッヘル鉗子とペアン鉗子は、組織をつまむ(挟む)手術の最も基本的な器械だが、両者の最大の違いは、コッヘルの先端には鉤がついており、ペアンにはついていないことだ。だからお腹が開くまではコッヘルを使うが、お腹が開いたら(腸が露出したら)、ペアンしか使わない。コッヘルの鉤で腸を傷つけるリスクがあるからだ。
千里はNGルールを心に深く刻んだ。こういうミスをすると、その看護師は絶対に外科医に信頼されないはずだと思った。