パーティーに集う表現者たち

 森茉莉によれば、パーティーには〈多惠子の造ったひどく美味しい酒の肴風の料理〉(ドッキリチャンネル/「週刊新潮」80年3月6日号)が並ぶが、普段からアトリエに呼ばれていた巖谷にはそのイメージはない。
「僕の記憶では、多惠子さんがとくに料理好きだったわけではありません。池田満寿夫のほうが料理自慢で、人が来るとなればふたりで作ってたと思います。ちゃんとした料理というより、酒のつまみをいろいろ。それに店屋物もとってました。飲むのはビールも飲んだけれど、お金もないし、早く酔いたいからウィスキーが多かった。それも安いトリスの白と、その後に出たサントリーレッドが中心ですが、お客によっては角瓶やオールドも。ジョニーウォーカーなんがかあると宝物みたいに言われた時代でしたから。
 ふたりとも酒に強くてどんどん飲むほうだけれど、多惠子さんが先に酔ってたかな。池田さんは周りに気をつかっていましたが、飲めばもうめちゃくちゃになっちゃうわけで、なにかと議論やけんかをふっかけて、でも最後には抱きあったりする。ひとりだけ若い学生だった僕は、ふたりからキスされています」
 詩人の加藤郁乎が、富岡・池田と出会ったころとアトリエの思い出を書いている。〈タエコを先頭に森茉莉、萩原葉子、矢川澄子、山田美年子、白石かずこ、野中ユリ、篠原佳尾といったパートナーたちと入り乱れながら、ゴーゴーを踊り狂っていたマスオや澁澤龍彦や加納光於や私たちを憂い顔で眺めていたのは、角刈り頭の暗黒舞踏家土方巽であり、ヘビースモーカーの瀧口修造だった〉 (「現代詩手帖」1975年3月号)
 ここに名前がある女性は詩人の富岡、白石、作家の森、萩原、翻訳家で作家の矢川、画家の山田、野中、篠原と、みな表現者たちであった。
「よくやったのは歌を歌うことでした。今のカラオケなんぞとは違って、伴奏も合いの手もなく、自分がどんな歌をどれだけ歌えるかを競ったりして、一種のインファンティリズム(幼児性)もありましたね。多惠子さんはなかなか上手いんです。美空ひばりの『角兵衛獅子の唄』とか、こぶしのある歌謡曲が好きでした。池田満寿夫のほうは軍歌とか。そんな時代に育ってるからです。多惠子さんに似合っていたのは、菊池章子の♪星の流れに身を占って~というあれ、『星の流れに』ですね。あの歌は、みんな好きだったようで、加藤郁乎の詩を替え歌にして歌っていました。そんなことは大学などでも誰もやらないから、僕には新鮮で、年齢は違うにしても、こっちの世界のほうが親しめたという気がします。ダンスもやりました。池田さんがオモチャみたいな蓄音機を持っていて、やがて僕のところに米軍基地のお古の携帯プレイヤーが来たのでそれを使って、ボロボロのレコードを延々とかけていた。レイ・チャールズの曲でツイストを踊っていました」