年始は、自分を見つめるチャンスです
92歳となった私はここへきて、自身の変化に気づくようになりました。これも年齢によるものでしょう。夢というものは消え、生きる世界が狭くなったように感じます。
過去のことも、少し先の未来のことさえも考えなくなりました。「ああ、空が美しい」「お水がおいしい」といった具合に、いまに没頭している。
言うなれば幼いころに戻った感覚なのですが、子どもの無気さと異なるのは、すべてに深い感謝が伴うところでしょう。そうしてどんなに年を重ねて体が弱っても祈り続けることはできる、と思うことが、深いやすらぎや心の支えになっています。
皆さんも同じです。寝たきりになっても大切な人の無事を祈ることはできます。世界平和を祈ることだってできます。その思いは神様に届き、きっと手を差し伸べてくださるでしょう。祈りは愛であり、立派な社会貢献なのです。
同時に、どんなに努力しても変えることのできないものがあることも悟りました。それは他者の心です。
かつて教壇に立っていたころの私は、ずいぶんビシビシと学生たちの指導にあたっていました。「鬼の鈴木」と呼ばれていたくらい(笑)。たとえ煙たがられても教養のある女性を育むことが自分の務めだと思っていたので、学生の行動を細かく改めさせようとしていました。