スピリチュアリストとして、さまざまな角度から読者のお悩みに答え、生きる指針を示してくれる江原啓之さん。現在は熱海に在住し、ていねいな暮らしをしながら日々「生きる上で大切なこと」を発信し続けています。『婦人公論』のリニューアルにあたって始まった新連載「〈幸せぐせ〉を身に着けよう」。第37回は「同級生の集まりに、昔いじめた相手が来るとわかった」です。
Q 同級生の集まりに、昔いじめた相手が来るとわかった
A)いじめたことを謝罪する
B)相手から何か言われるまで黙っている
謝罪は誰のためにするのか
学生時代に自分がしてしまった悪事を反省し、傷つけた相手に謝りたいと思っている。それが今回のテーマです。経験のあるなしにかかわらず、あなたがその当事者だと思って一緒に考えてみましょう。答えを考えるうえでのポイントは、「謝罪は誰のためにするのか」ということ。それを考えたら、答えはおのずとわかりませんか? 幸せぐせは、Bです。
Aは謝罪したい気持ちを前面に出しているものの、実は相手のことを考えていません。相手は過去のことを忘れたい、封印したいと思っている場合もあるのではないでしょうか。自分がされた側になって考えてみてください。前触れもなくいきなり謝罪されたらどうでしょうか。過去を思い出し、惨めな気持ちになりませんか? そう考えると、誰もが謝罪を望んでいるとは限りません。せっかく仲間で楽しもうと来ているのに、嫌な気持ちにさせられたら、それこそ新たないじめです。
卒業してかなりの年数が経ち、相手の状況も、気持ちも変わっているかもしれないなかで、短絡的に「当時のいじめを謝罪する」のは、自分の思いをただぶつけるだけの行為。相手にしてみたらいい迷惑です。つまりAは、自分が背負っている過去の重い荷物を下ろしラクになりたいがためのもの。残念ながら、本当の意味での謝罪ではありません。