面会解禁日、父はバースデーソングを口ずさんだ

毎週水曜日に私はラジオ番組のパーソナリティーをしていて、午後からゲストと打ち合わせをして本番に臨む。次週のミーティングをして帰宅する頃は、父は食堂で夕食をとる時間に当たるので、老人ホームには寄らない。しかし、5日ぶりだし、その日は私の誕生日だから行きたかった。

現役時代父は広告代理店に勤めるサラリーマンだった。担当していた企業のひとつに札幌中心部の老舗ホテルがあった。そこに営業に行った日は、ケーキショップで売っている洋菓子をお土産に買ってきてくれた。

イメージ(写真提供:Photo AC)

父も元気になったことだし、私はそのホテルのショートケーキを買って持って行くことにした。

夜、6時半。ホームの父の居室をノックすると、父の足音が聞こえてきた。私の顔を見て、父は言った。

「今日は来られない日じゃなかったか?」

「うん、でもね、私の誕生日なの。一緒にケーキを食べようと思ってね」

部屋に籠っていたせいか、心なしか父の背中が丸くなっている。ベッドに腰掛けた父の顔を見たら、肌が少し乾燥しているように見えた。

「お風呂に入れなかったから、熱いタオルで顔を拭いてあげようか?」

「そうだな」

父は私にされるままに目を閉じて、気持ち良さそうな顔をした。

「洗面台にぬるま湯を溜めたから、手は石けんをつけて自分で洗ってくれる?」

父が石けんを泡立てている間に、私は居室内のトイレをチェックした。紙パンツの袋が便座の横に置いてあるのだが、数枚しか減っていない。

「パパ、もう紙パンツ使っていないの?」

手を洗い終えてベッドに戻った父は当然のように言う。

「あぁ、俺はちびらないから、紙パンツははかない」

「へぇー、偉いね」

なぜか父は急に不機嫌な声になった。

「いちいち褒めるほどのことではない!」

ホームに入る前、どうでもいいことで父と随分言い合いをして、私はエネルギーを使い果たした。こういう時は話題を変えるのが一番だ。

「ケーキ食べようよ」

箱を見て父は気付いたらしい。

「俺が担当していたホテルのケーキか?」

うなずく私に、父は思い出を語り出した。当時の支配人が立派な人だったとか、中華のレストランのザーサイがおいしかったとか。昔のことを生き生き話す父の頬は、赤みを帯びてきて、コロナで寝ていた期間に失った精気を取り戻したように見えた。

紙皿にショートケーキを載せて渡すと、父は「ハッピバースデーツーユー」と口ずさんでくれた。それから一口ケーキを食べて言った。

「あのホテルの味がする」

ケーキの向こうに、若くて颯爽と仕事をしていた父の姿を見た気がした。