庶民も通える値段だった

豊島屋のもうひとつの売りは、関西から船で運ばれてくる「下くだり酒」でした。

当時は、関東地方にまだ良酒を造る技術がなく、関西の酒が上等とされていた時代です。豊島屋は、酒も肴も安くてうまいと評判を呼びました。

この豊島屋の繁盛をきっかけに、他の居酒屋もさまざまに工夫して、芋の煮っころがし、おでん、ぬたなどの肴を出すようになります。

そうした店は「煮売り酒屋」とも呼ばれ、独身男性の多い江戸で大いに繁盛しました。ところで、そうした江戸の居酒屋の値段は、いかほどだったのでしょうか。

江戸後期の史料には「酒一合八文」「おでん一皿四文」とあるので、現在の価値に換算すると、それぞれ、160円と80円ぐらい。この値段なら、庶民も十分に通えたというわけです。