入院中の病室で、弘道さんと久美子さん(写真提供◎佐藤さん)

弘道 僕は1日も早く家に帰りたかったよ。リハビリ病院では、できることとできないことを細かくチェックして点数化されたんだけど、入院時、僕は点数が低かった。そこから一つずつ潰していったね。

久美子 3週間後にはほぼ満点にして、退院許可が出ちゃった。このときばかりは息子たちが「せっかくいい環境でリハビリしてるんだから、まだ退院しないほうがいい」と苦言を呈した。

弘道 嫌だよ、帰りたいもん。排泄障害と下半身の麻痺、しびれは残っていたけど、最低限の生活はできるようになったんだから。結局リハビリ病院も3週間で退院して、晴れて8月半ばに自宅に帰れたんだ。

久美子 今は私が体操教室をしているから、家のことは何でも弘道さんがやってるね。甘やかしちゃダメ。全部リハビリ。(笑)

弘道 昨日はリビングの床を全部、拭いたしね。(ドヤ顔)

久美子 そうそう、拭いてくれてた。感謝してます。(笑)

弘道 僕こそ倒れてからずっと支えてくれて、感謝してます。

久美子 さほどサポートはしていないけどね。

弘道 どんなときも家族がずっと前向きでいてくれたことが何よりのサポートだったよ。一緒に落ち込まれていたら、たぶん僕は、先が見えなくなってた。

久美子 私たちは最初から「父ちゃんが生きてるならそれでいい」だったからね。今日の「おいしい」は? 今日の「面白い」は? って、3人で毎日話し合ってた。それはそれで楽しいことを探すのに必死だったのよ。それが私たち家族の在り方だって、みんながどこかで思ってたんじゃないかな。