『吉原細見』の卸し、小売りを始める

安永2年(1773)、重三郎は新吉原大門口五十間道の左側に書店を構え、鱗形屋(うろこがたや)から毎年発行される吉原細見の卸し、小売りを始めた。

『いたみ諸白(もろはく)』には、「衣紋坂を降りて、すぐ右側取付のところが、はん所錦屋である。にしきやの哥兄――細見板元蔦屋重三郎は向かい側五軒目である」と、重三郎の店の場所が記されている。

『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(著:松木寛/講談社)

向井信夫氏は、まず重三郎は引手茶屋蔦屋次郎兵衛の軒先を借りて、この商いを始め、次いで安永6年(1777)には、同じ五十間道の家田屋半兵衛の跡に店を移したとするが、これは何によるのか出典が不明である。

吉原細見とは、吉原の妓楼や揚屋、茶屋、そして遊女達の名を絵地図のようにして紹介した、遊廓遊びのための情報誌とでもいうべき小冊子あるいは絵図のことである。向井信夫氏の研究では吉原細見の現存するもので最も古いのは、貞享(1684―88)頃まで遡るという。