ホリエモンの改革が失敗に終わった功と罪

ホリエモンこと堀江貴文氏が2005年にテレビ局(正確には歴史的事情からテレビ局の親会社になっていた小さなラジオ放送会社)の買収をしかけようとして、色々な反対に遭って頓挫し、その後いわゆるライブドア事件などもあり経済の表舞台から消えることになってしまった事象が、良くも悪くも日本経済のターニングポイントになったと考える人は結構います。

特に「水の世界(グローバル)」側の視点に立てば、あれで日本経済の改革が頓挫し、昭和の延長のまま時代に合わない体制がダラダラと延命し、それがその後の停滞を招いたのだ……というのが一種の「定説」となっているのではないでしょうか。

(写真提供:Photo AC)

もちろん、「油の世界(ローカル)」側からすれば、堀江氏のような存在こそが諸悪の根源のように見えていることはいうまでもありません。

私は、あそこで堀江氏を拒否せざるをえなかったのが日本なのだから、今さらそういうことを言っていても仕方ないし、それを拒否した日本だからこそ残った美点を活かさなくてはならない、と考えています。

今の日本のテレビ局は本当に衰退の一途という感じですが、ただアメリカの政治状況などと比べると、日本に「とりあえずの共通了解としてのテレビ局」が存在する価値は間違いなくあるな、と思う部分はやはりあります。

アメリカではメディアも容赦ない金融ゲームに巻き込まれ、短期的利益を求めて政治的分極化が激しくなり、民主党支持者と共和党支持者で普段見ているメディアも全然違うし、その論調があまりに違いすぎて「共有できる土台」がどんどんなくなっていってしまっています。

そうやって、とりあえずの「共有できる土台」も全部マネーゲームに放り込んで焼き尽くしてしまうと、各個人はSNSで飛び交う陰謀論に弱くなりますし、「恵まれないあなたの不幸は全部“敵”のあいつらのせいなんです!」という意見が暴走しまくって大変なことになるのは、2021年のアメリカ連邦議会議事堂襲撃事件などを見ても明らかでしょう。