コシノヒロコ
コシノヒロコさん(撮影:下村一喜/『コシノ三姉妹 向こう岸、見ているだけでは渡れない』より)
大阪・岸和田のコシノ洋装店に生まれたコシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさんの三姉妹は、50年以上ファッション業界で世界的な活躍をしています。そんな三姉妹の初の共著『コシノ三姉妹 向こう岸、見ているだけでは渡れない』が、2025年1月10日に刊行されました。そのなかから、三者三様の人生哲学の一部をお届けします。5月23日からは、連続テレビ小説『カーネーション』のモデルになった母・小篠綾子さんとコシノ三姉妹の人生を描いた映画『ゴッドマザー コシノアヤコの生涯』も公開され、ますます目が離せない姉妹です。

パリコレでの悔しさもバネに

パリコレに初参加したのは82年です。

アパレルの経営者が集まる会議で、私が「日本のよさを海外に売り込んでいく時代です」と訴えたところ、イトキンの辻村金五社長が、「ローマでのコレクションは大成功で、あの洋服、全部アメリカ人に買われたんやってな。僕らはパリのデザイナーと提携して、高いお金を払っているけれど、今度は日本のデザイナーを外に売っていく時代や。一緒に、パリコレに打って出ようやないか」と持ち掛けてきたのです。

そんなわけで実現したパリコレは、残念ながら悔しい結果に終わりました。期間中、大中小のテントでそれぞれのブランドがショーを開くのですが、パリでは無名だった私は一番小さなテントでした。その上、プレスの人たちを誘導する際、現地のスタッフがわざと私のテントを飛ばしたのです。

そのときは腹が立ちましたが、落ち着いて考えてみれば、そうした扱いを受けるのも致し方なかったのかもしれません。

当時、経済成長をいいことに、日本の企業がフランスの由緒あるレストランやゴルフ場、お城まで買い取るなど、やりたい放題でした。また、家電や車のメーカーが進出して、フランスの企業を圧迫していたこともあり、当時フランス人にとって日本人は鼻もちならない存在だった。

だからパリコレに参加するにあたっても、イトキンは高いお金を払わざるをえなかったし、私もカネに飽かしてショーにやってきたんだろう、という目で見られたのでしょう。どうやら「日本人がフランスの文化を荒らそうとしている」と思われたようで、フランスのファッション誌でも酷評されました。