唯一の出入り口、大門
公的に認可しつつも、風俗街だと差別はする。まったくめちゃくちゃなやりかたです。いまだったら、ネットが大炎上し、暴動でも起こりそうなものですが、この時代では、身分制度が明確だったため、ごく自然に受け入れられた流れでした。
吉原につながる道は日本堤とよばれた一本道です。日本堤を真っ直ぐ進み、五十間道を下ると、唯一の出入り口の大門が見えてきます。
大門には、様子のおかしい人間が入ってこないためや、何よりも「遊女が逃げ出さないための監視役」として屈強な男性が門番として常駐していました。
大門をくぐるとそこはもう、吉原。浮世ではありません。中央に位置する大きな通りには仲之町と名前がつけられています。この道が吉原のメインストリートです。花魁道中やお祭りなどは、この仲之町で行われていました。
通りに面した両側には、引手茶屋と呼ばれる、遊女が在籍する妓楼を紹介するお茶屋さんが軒を連ねています。いまでいうと、風俗紹介所と料亭が一緒になったようなお店です。