「なぜ」「どうして」は排除される

正直、この経緯をしらなかったので、ただただ社会に反抗するためにあえて不登校を貫いているのだと思っていた。メディアの取り上げ方も、自ら選んで不登校になっているという印象を煽るような報道の仕方が多かったように思う。

しかし、実際は教師の体罰という立派な理由があったし、事情を知れば不登校にならざるをえなかったのもよくわかる。私も、子どもの頃、学校の先生が平気で生徒を殴っていて、学校に抗議しても何のお咎めもないということが実際にあった。暴力は自らがされるのは勿論、見るだけでも恐怖を感じるし、大きなダメージを受ける。

また、学校と言う組織が「なぜ」「どうして」という疑問が沸く子が生きづらく、排除されるところだということも本当によくわかる。私もひとつひとつに疑問が沸く子どもだった。なぜ髪形やカーディガンの色が決まっているのか? など、校則で決まっていることひとつひとつの理由を先生に尋ねると、明らかに“面倒くさいやつ”という目で見られたし、ルールはルールだから、という答えしか返ってこなかった。それにどうしても納得ができなかった。

最近でも、真冬でも「女子のタイツ着用禁止」「マフラー禁止」「ダウンジャケット禁止」など、不合理な校則が残っていることがニュースになっていた。誰のためにもならない、むしろ苦しめるだけの形骸化しただけのルールが温存されてしまうのは、疑問を持つ人を煙たがる風潮があるからだろう。

『死ねない理由』(著:ヒオカ/中央公論新社)