私たちは学力を日々行使している
でも、不思議なのだ。例えば筋トレであれば、ダンベルをあげたり、スクワットしたりという場面が仕事中や日常でないから、やること自体が無駄だ、と思う人はいないだろう。そこで鍛えた筋肉を実生活で使うとわかるからだ。
勉強も同じではないか。微分積分それ自体は生活の中で使わなくても、勉強で鍛えた論理的思考力、物事を順序だてて考える力、記憶力、読解力は使う。生活する上での基礎力を付けているのだ。
私たちは無意識の間に、学力を日々行使している。
若い時は、どうしても自分の行きたい道に最短距離で向かうために、無駄なことはやりたくない、やりたいことだけやりたい、という風になりやすい。例えば、歌手やアーティストになりたいから高校や大学に行かない、という人もいる。でも、めんどくさいことや、一見関係ないと思えること、回り道だと思えることこそ、将来の自分を形作ってくれるものなのだ。
それを自分で気づくのって難しい。
必ずしも学校に行く必要はないけれど、勉強や学び自体は、少なくとも若いうちは無駄だからと切り捨てるのはとてももったいないことだと思う。
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