変わる<三大改革>の評価
財政危機を前に「このままではまずいぞ」と、8代将軍の徳川吉宗は幕府の政治・経済の刷新を図ります。これが<享保の改革>です。
吉宗の努力は一応の成果となって現れました。
その経済政策は、松平定信の<寛政の改革>、水野忠邦の<天保の改革>へと継承されていきます。そしてこれらを<三大改革>と呼びます。
教科書にも明記されているので覚えていらっしゃる方も多いはず。
なお今から45年くらい前、ぼくが学生だったときには、この<三大改革>は高く評価されていました。
でもあれから時間が経過するうちに、変化が生じました。たしかに<享保の改革>はギリギリ合格点だった。でも<寛政の改革>はうまくいかず、<天保の改革>は明らかに失敗に終わった…という感じで捉えられるようになったのです。