初夏に届くサクランボ

山形からサクランボが仙台の家に届いたそうだ。若い頃から長く仕事を一緒にさせて貰った友の奥方からである。友はとうに亡くなった。

なのに毎年、初夏になると、美味しい果物が届いている。友が生きている時、そうし続けてくれていたが、今は奥様が受け継いでいる。その果物を見る度、どんな思いで奥様は果物の具合いを計り、私の住所を記しているのだろうか、と思った。

伊集院静
(写真提供:講談社)

3年が過ぎた頃から、奥様の気持ちをおもんぱかった。今年が何年になるのかさえ怪しいと思われたので、今日奥様宛に手紙を書いた。

「もう今年限りにして下さい。そうしましょう。礼状もおぼつかなくなる」とやはり辛いことを正直に打ち明け、願いの手紙を出した。

そういうことをしている家族がいらしたら、ご主人が亡くなった年にやめるのが一番だが、どうしてもというなら3年目を境に贈答はやめるのを、日本人のしきたりとすべきである。そうしなければ、贈る方も答える方も可哀相である。

きっと昔は、そういう決まり事があったに違いない。それをきちんと表立って教える人がいなくなったのである。