上り坂と向かい風を選ぶ

私はほとんどテレビを見ることはないが、上京し仕事の間は音だけを出して聞いている。そうすると、日本人が何を間違っているかがわかる。一分間流れるコマーシャルはほとんどが人材会社のCMか、求人募集の会社のCMで、就職や転職が成功した雰囲気のものである。

――ああこれはすべて嘘を宣伝している。

伊集院静
(写真提供:講談社)

こんな会社に自分の将来を託したら、そりゃ破滅するだけである。はっきり言って、彼等は江戸時代で言う“口入れ屋”である。それは人々を売り買いする会社だ。そんなところで就職したり再就職したら、彼等からごっそり取られる手数料で、いくら働いても幸せになる道理がない。

それを知らずに若者は、バカ者に走るのである。若い人がラクして儲けたり、生きて行こうとするのは、人間という生きもののどうしようもない一面である。

私はいつも後輩たちに、上り坂と下り坂が目の前にあったら、上り坂も登ってみるべきだとすすめる。追い風と向かい風なら、若い時は向かい風に立ってみるべきだと言う。

――なぜ、そんな苦しい、辛いことを敢えてしなさいと言うか?

それは、その状況に一度立ってみないと、いかに苦しいか、辛いかがわからないし、身体が、こころが、それを一度でも覚えたら、それはそれで将来に役立つというか、そうしたことが良かったと思えるのが人生だからだ。

投資は己一人が、他人の手、汗を借りて、ラクをしようとする考えが、根にあるからだ。

私とて、金が大切なことは十分わかっているし、金で苦労したことがないとは言えないし、むしろその苦労が大半だった。

それでも、金で手に入るものなぞ、たいしたものではないはずだ、と信じている。