イメージ(写真提供:Photo AC)
連載「相撲こそわが人生~スー女の観戦記』でおなじみのライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間勤務しながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります

心のからくりが生活をおかしくする

高良興生院は、庭のある普通の和風の住宅である。

19歳の私は、菌が恐ろしくて手の皮がふやけるほど長時間洗うことも、バスや電車の吊り革がつかめないことも、入院すれば、全て治ると思っていた。

入院するとすぐに1週間にわたる臥辱がはじまった。食事は朝、昼、晩と運ばれてくるが、それ以外は寝ていなくてはならないのだ。それが森田療法のやり方で、患者はあらゆることを考える時間が与えられるが、体の疲れをとる意味もあった。体が悪いわけでもないのに寝ているのは苦痛で、いつも通りに起きて動きたいと思い、イライラしてきた。

1週間が過ぎて、庭に出た時の感動を私は今も覚えている。木々の葉、雑草、そこで掃除をする人、全てからキラキラとした美しい生命の輝きを感じたのである。

私以外の神経症の入院患者は、一流大学に通う男子学生7名と20代のOLの2名だった。

高良興生院では、作業療法を行い、各患者が庭の掃除、お風呂の掃除、トイレ掃除などを分担して行い、神経症を抱えながらも、本来なすべき行動をすることを学ぶのである。気持ちに負けて、私の場合は過剰に手を洗うことを、森田療法では「はからいごと」と言っていた。

作業の合間や夕食後の患者同士の会話は、神経症でない人が聞いたら奇妙そのものである。人柄が良さそうなOLのAさんは、自分に体臭があり回りの人が嫌がるのではないかと気にして会社にいけなくなった。しかし、Aさんに近づいても、全く体臭はしない。とても感じの良い大学生のBさんは、人前で話すと顔が赤くなることを過剰に意識して、休学まで考えているという赤面恐怖症だ。しかし、私と話しても顔など赤くなっていない。それに、人前で顔が赤くなっても「照れ屋」としての個性になり、別に良いのではないかと私は思った。それぞれが、心のからくりにより何かに囚われて、身動きができなくなっているのである。

治療は、日記を毎日書いて、院長である阿部先生や他の医師がアドバイスを書き込んでくれるのである。阿部先生は、院内を歩いて患者に治療に役立つ生活のアドバイスをしたり、時には患者たちと庭でミニゴルフゲームをしたりしていた。

同じくらいの年齢の患者の中で、私は自分の行動の異常さに気づき、19日間の入院で症状は良くなり退院した。