父親を「人間として見る」ことを教えられた

家にもどり、大学への通学を続けていたが、私の生活はどんどんもとの不潔恐怖症に戻っていった。なにもしない時間があることもまずかった。

そして、父のことが、さらに嫌になってきた。家は製造業で、母が内職の人たちとともに作った製品を、父が都内の会社に届けて販売していた。父には愛人がいて、会社を継ぎたいと言っている愛人の身内もいると得意先の人が、母にいちいち報告していた。父は私の兄を嫌い、仲良く食事をする光景などなかった。入院中に、愛人のことは書かなかったが、父の嫌なところを記述したら、阿部先生が「お父さんを人間としてみてあげなさい」と書いていた。

ある日、再び長時間手を洗い、洗濯を繰り返す私を見た父は怒り、「外の世界がどれくらい恐ろしいか見てこい」と言い、私を外に放り出して、家の鍵を閉めてしまった。私は靴もなく、靴下のまま午後の街をさまようはめになった。

イメージ(写真提供:Photo AC)

交番の前を通り過ぎた時、外にいた警官に声をかけられた。「何ではだしなの?どこから来たの?」。私が答えないので、記憶喪失症ではないかと、パトカーで近くの警察署に連れて行かれた。中年の刑事さんが「僕と話をしよう」と言い出した。小さな会議室で、私は刑事さんの前に坐った。さすが刑事さんだと思った。いきなり「君のその荒れた白い両手はどうしたの?」とたずねてきた。私は一気に心がゆるみ、自分が約1年前から不潔恐怖症であり、入院しても治らず、父に外にたたき出されたことを話した。

刑事さんは言った。「君は学校を卒業したら、どこかに勤めて、結婚したりするだろう。その君の人生に不潔恐怖症は必要なの?」

私はその言葉に一瞬にして目が覚めた。それと同時に阿部先生が話しの中や日記に書いてくれた「自分の意思、活動力を信じて」という言葉の意味がわかった。清潔でいることは大切だが、不潔恐怖症は私の人生に必要ないのである。