同窓会では、今までの人生の話から最近の暮らしぶりまで、お喋りに花を咲かせ……(写真:stock.adobe.com)
時事問題から身のまわりのこと、『婦人公論』本誌記事への感想など、愛読者からのお手紙を紹介する「読者のひろば」。たくさんの記事が掲載される婦人公論のなかでも、人気の高いコーナーの一つです。今回ご紹介するのは滋賀県の80代の方からのお便り。看護短大の同窓会に、夫に車椅子を押してもらい参加したところ――。

多様性と人間愛と

東京で短大の同窓会がありました。私は夫の押してくれる車椅子に乗って、滋賀県からの参加。4年前に脳卒中を発症してから、遠出は夫に手伝ってもらっています。

イタリアに住むクラスメートの帰国を機に開かれた今回の会。ファミレスにて、昼食をとりながらの開催でした。昭和37年から3年間通った東京の看護短大を卒業した仲間です。フランスの修道会が設立した学校で、厳しい規則がたくさんありました。地元の栃木県でののんびりした高校生活を経て上京した私には、目を瞠ることばかり。

実習先の病院はインターナショナルな環境で、患者さんは西欧系、アフリカ系、アジア系と多様な国の人々、そして病棟の看護婦長は全員外国人です。ドイツ人、アメリカ人、カナダ人、イタリア人がいました。みな流暢な日本語を喋ります。

一番厳しかったのはドイツ人の婦長。私が患者さんに水を持って行く際、トレイに載せず、素手でコップを持っているところを見て、「あなたの家ではそんな教育をしているのか?」と凄い剣幕で叱責されたのを覚えています。

全寮制で3年間寝食をともにしたので、クラスメートとは本当の姉妹のように生活していました。寄宿舎の規則は厳しく、起床は朝6時、就寝は21時30分、入浴は一人15分、などと細かく決まっておりました。朝夕にお祈りの時間もあり、まさに修道院のような生活です。

冬は、朝5時30分に起きて火おこし係が順番にまわってきます。当時お部屋の暖房は練炭ストーブ一個のみ。火をおこしながら見た、空に浮かぶ星の煌めきが今も忘れられません。

家族と離れて過ごす厳しい寄宿生活。よく脱落しなかったと、われながら感心します。ここで私は、多様性と人間愛を学んだのです。