《一卵性母娘》と言われるくらい仲が良かったお母さんとのツーショット(写真提供:川中さん)

頑張り屋の母の言葉を胸に

2017年、《一卵性母娘》と言われるくらい仲が良かった母を見送りました。心筋梗塞で倒れた母を介護していた数年間は、母を抱き上げようとしてギックリ腰になったり、睡眠不足で肌がボロボロになったりと大変な思いもしましたが、今となってはすべてが懐かしいです。

母は《おばあちゃんの知恵袋》的な健康法をたくさん知っていて、体を温めるしょうが湯を作って飲ませてくれたり、やけどをすると薄く切ったきゅうりをパパッと貼りつけて冷やしてくれたり。

野菜が大好きで、「体にいいから」と、旬のものをたくさん使った炊き合わせがよく食卓に上りました。私の冷たい手を両手で包んで、温めてくれた母。私がこの歳までこれといった病気をせずに仕事を続けてこられたのは、母の愛情のおかげでもあるんだな、とあらためて思います。

母の死を通して実感したのは、「人はいずれ死ぬのだ」ということ。これまで祖母や父、友人を見送ってきた私ですが、母を亡くした際は、死をごく身近なものに感じました。喪失感も大きく、それはもう周囲が心配するほど……。

寂しさから今も納骨できていないのはいかがなものかと思いますが、お寺の住職さんにお尋ねしたところ、「いつまでに納骨をしなくてはいけないという決まりはありません。気持ちが落ち着くまで手元に置いていらしたらいいですよ」と言っていただいたので、まだ自宅に置いたままにしています。