二人は祝言を挙げて夫婦に
それから迎えた約束の3月15日。どうなったのかというと…。
高尾が久蔵の元へと本当にやってきた!
二人は祝言を挙げて夫婦となり、吉兵衛親方は久蔵に身代を譲ります。店を継いだ二人は商売に励んだ。二人が売り出した“早染め”の手拭いは江戸っ子たちに人気となり、店は大繁盛しました。めでたしめでたし。
「紺屋の白袴」という言葉も今は死語かな。
紺屋は藍玉を用いて布を染めます。その紺屋が集まっていたのが、久蔵が暮らす神田紺屋町。
JR神田駅から徒歩5分。今年の流行を知りたかったら紺屋町に行け、というほど紺屋町が生産する染め物は江戸っ子に人気だった。ファッション最前線といったところでしょうか。
なお藍玉の特産地は徳島ですが、埼玉の農家も「徳島に負けるな!」と藍の栽培に励んでいました。
埼玉県深谷市で生を受けたミスター1万円こと渋沢栄一。彼は早くから家業の藍玉製造に興味を持ち、14才くらいから藍の葉の買い付けに出かけ、長野、群馬、秩父へと脚を伸ばしました。その様子は大河ドラマ『青天を衝け』でも描かれていましたよね。
それで彼は後に「青淵」を雅号にしましたし、みずほグループのカラーは紺色なのです。