ひとつのプラン
ちょうどそのころ、私にはひとつのプランがあった。日本に帰国して兄・寿一の母校でもある拓殖大学に通い、空手と日本語を学ぶという計画である。
9歳でブラジルに渡り、その後14年間ブラジルで暮らした私はすっかり「ブラジル人」になっていた。大人になってから移民した母や兄たちとは異なり、現地の学校で学んだために、使う言葉もポルトガル語。逆に言えば、日本語のボキャブラリーは小学生程度の水準で止まっており、兄の寿一からこうアドバイスされたのである。
「啓介、これから何の仕事をしていくにしても、日本での人脈を作り、日本語もうまくなっておいて損はない。拓大に留学の枠があるから、このあたりで少し勉強しておけ」
いわばブラジルから日本への「逆留学」だが、私はそのすすめに従って、拓殖大学へ入学する準備を進めていた。そんなときに持ち上がったのが、兄貴と倍賞美津子さんの結婚だったのである。