思いつきで、介護の道へ

そうして持ち前の猫背をおんぶして歩いているうちに、思いついたのが「介護の仕事」だった。

老人の相手だったら、自分にもできるかも……。それは、古本屋のおばあちゃんと過ごした時間にも裏打ちされた発想だった。

ほとんど日常会話は成り立たない、ねじの飛んだ宇宙語を話す彼女とも、ぼくはどうにかこうにか違う惑星から打ち解け合っていたし、しょっちゅう持たされるいびつな自家製野菜たちも家のゴミ箱まではしっかり葬送していたし、交代の時のレジ点検で毎度のように打ち出される天文学的誤差にも、黙って向き合い修正していた。

そういえば……。ぼくはお店の売上げを水増ししていた。

水増し、といっても、この行為はなんていうのだろう。レジに自腹でお金を足して、実際の売り上げよりも多く報告していたのだ。つまりただの自虐的ボランティア。

少ない身銭をなげうってまでも会社に服従していたのは、1日の売上げを電話で報告する時、受話器から落胆の色をおびた社長の声に沁み入るのが苦痛だったから。

時に「1日の売上げ=890円」というような恥ずかしい額が、自分の人間としての価値をも表しているようで惨めなのもあったかと思うけれど、根本では社長へのほの暗い忠誠心に支配されていて、やはりそこにも、自分の裡(うち)に在りし日のムクの揺れ動く尻尾を見ていた。

 

ムクの祈り タブレット純自伝』(著:タブレット純/リトル・モア)