心配する親への体裁
それともう一つ、おばあちゃんの「息子への思い」がいつしか伝播していたようにも思う。
あんなに呆けていても、なんとか1冊でも古ぼけた本を売ろうとお客をつけ回すその執念は、息子愛そのものだった。
それがわかるのは、自身の母親も、このダメ息子の安否を常に案じていたから。古本屋には、不安な将来へのリアルな合わせ鏡も憐れげにぽっかりと存在していたのだ。
とはいえ、介護職の道を思い起ったのは、もっと単純に「老人と気が合いそう」なことと、心配する親への建前上の体裁も存分にふまえていた。「手に職を持たなければ駄目だよ」は母の口癖だったから。
つまりこれもまた結局、現実のお茶濁し的発想ではあったのだけれど、まもなくしてぼくは町田にある「ヘルパー2級教室」にとぼとぼと通い始めたのだった。漠然と、社会への何らかの資格を得るために……。
初日のその道すがら、「なんの芸もない犬」であったムクが、小豆色の瞳をうるませて、ぼくの背中を寂しそうに見送っていた。