母に懇願したが…
でも7歳年上のいとこの家は毎年立派なものを飾っているではないか。小さなものでもいい、ちゃんと自分で飾り続けるから、などと懇願したが、母は聞き入れてくれなかった。
ある日母は『三月 ひなのつき』という本を買ってきた。雛人形をねだる娘をいつも軽くあしらい、「私の気のすむお雛様を(娘に)やりたいのよ」という母親のこだわりを描いた創作童話だ。母は自分の気持ちを理解してほしくて買い与えたのだろうが、幼い私にはあまりぴんとこなかった。
本を買ってきてから1年ほど経った頃だろうか、母が「贈りたい雛人形を見つけることができた」と言い出した。「真多呂作」と書かれた木札のついたそれは、ふっくらした丸顔で木目込みの内裏雛。「真多呂さんの作品はお顔がいいのよ。まり子にも似ているわね」。そう話す母はとても嬉しそうだった。
私も念願のお雛様が家にきたことは嬉しかった。でも、うりざね顔ではないお雛様は子どもっぽく感じられたし、やはり段飾りではなかったことに対し失望感が心をかすめる。それでも、以来60年近く、ほぼ毎年雛祭りに間に合うように飾り続けた。出すのが億劫になる時も、その気持ちを克服できたのは、母の言う通り、飾りつけの簡単さのおかげだったと思う。
大きくなってから、よそのお宅や展示会、パンフレットなどでさまざまな雛人形を見るうち、いつからか「私のお雛様のほうがいい」と思うようになっていった。しかし、幼い日の淡い失望感は、とれない小さな染みのように消えてくれないのも事実。
娘に、「孫娘に真多呂さんという人形師のお雛様を贈りたいのだけど。でも希望があればほかのものも見に行きましょう」と言い、まず真多呂さんの展示を見に行くことになった。そこで、私も娘も同じお内裏様とお雛様、三人官女のお雛様セットを気に入ったのですぐに購入。段飾りも一緒にどうか、とも聞いたが、「忙しくなっても毎年飾れるお雛様がいいから」と娘は言った。
亡き母の想いのこもった雛人形を孫娘に買い求めたことで、長年燻っていた私の気持ちが晴れていった。今になってようやく、母の選んだお雛様を心から嬉しいと思えた気がする。