「生れては苦界 死しては浄閑寺」

大量の<カネ>を媒体とする男女関係が今でも隆盛していることを鑑みれば、本来は「売春」という行為そのものの意味を、考察しなければならないのかもしれません。

本郷先生のロングセラー!『「失敗」の日本史』(中公新書ラクレ)

ですが、それは、一介の歴史研究者であるぼくの手には余ります。ですので、ここでは、労働環境、衛生環境の観点から、遊女の悲哀を見ていきます。

浄閑寺というお寺さんがあります。荒川区南千住にある浄土宗の寺院で山号は栄法山。地名の三ノ輪から「三ノ輪の浄閑寺」と称されます。

創建は1655年で、吉原遊廓の誕生(1657年)とほぼ同じ。「投げ込み寺」の異名があり、亡くなった遊女の遺体が埋葬された。

明治から昭和時代の川柳作家である花又花酔は「生れては苦界 死しては浄閑寺」と詠んでいます。