浄閑寺が「投げ込み寺」と呼ばれるようになった背景

お寺の公式サイトによると、同寺が「投げ込み寺」と呼ばれるようになったのは、幕末の安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際に、この寺に投げ込むように葬られたことによる、とあります。

ここで気をつけるべきは「投げ込むように」の「ように」の部分。

非常時であるから、あたかも投げ込むような勢いで、次から次に運び込まれたわけで、遺体を塀のこちら側から「えいや」と投げ込んで終わり、ということではない。

ましてや、日常的に、亡くなった遊女を寺の敷地に投げ入れ、それで一巻の終わり、というわけではないでしょう。