知名度がある人は別

ひとたびイケニエとなった人物がしばしば、くり返しその犠牲になってしまうことは、皆さんもご存じのとおりだろうと思う。

人を傷つけることはよくない、許せない、と他人に石を投げている時点で、投げた当事者も誰かを傷つけているのだから、論理的にはそれも罪である時点で同じということになるのではないか? とシンプルに疑問に思わなくもないが、どうも知名度がある人は別だとか傷つけたことがあるならたたかれてよいとか匿名であればよいとか、謎の根拠をもとに、自分だけは百パーセント潔白である、あるいは、平均よりも正義である(?)というような謎の確信を持っている人がそれなりの数いるようなのだ。

この快楽は実に強力であるとみえ、大多数の人は簡単にここから離れようとしない。これをモンスターと呼ばずして、何をモンスターと呼ぶのか、とさえ思う。

脳機能から考えてこの地獄の構造を一撃で解決できるような抜本的な手段というのは現在のところ存在しない。自分を律する、あるいは、他の、より健康的な楽しみを見つける以外に方法がなく、その歩みはとても地味で、ゆっくりしたものになるだろう。

※本稿は、『咒の脳科学』(講談社)の一部を再編集したものです。


咒の脳科学 (講談社+α新書)

なぜ、周りの言葉に苦しむのか?SNSにあふれる呪いの言葉、人を病気にもしてしまう暗示。イケニエを裁く快楽や罰を見たい本能や正義という快感。私たち人間の社会は咒(まじない)でできていると言って過言ではない。言葉には、意識的と無意識的とにかかわらず人間の行動パターンを大きく変えてしまう力があるからだ。今やSNSがひとりひとりを孤立させ、言葉はいっそう先鋭化している。正義や快楽に中毒する脳そのものが、そもそも人間社会を息苦しくする装置です。本書では、言葉に隠された力を脳科学で解き明かし、脳にかけられた咒がどのような現象を引き起こすのかを提示する。