苦痛に満ちた人類の進化史
この事実は、端的に、私たち人類の歴史が苦痛の連続であったことを示すものだ。快楽に溺れないような仕組みを作るよりもずっと、苦痛に耐える仕組みを複数、講じておくことのほうが、優先されてきたということでもある。
苦痛をなんとかしてやわらげ、それに耐え得る仕組みを発動させなければ、生き延びていくことも難しかった。たとえば心身が傷ついた場合には、勝手にβ‐エンドルフィンが分泌されて、痛みを緩和するという反応が惹起される。こうした、苦痛と快楽とがセットになったメカニズムが脳にあることの意味を考えてみれば、私たちの進化史が苦痛に満ちたものであったと推測するほうが自然だ。
ただこれは、苦痛の多い場合には福音とも言うべき仕組みだが、現代社会のように多くの人が快楽を追い求めることが可能なインフラが整ってきてしまうと、途端に様相が変わってくる。
抑制の機能が脆弱なのに、大量の快楽にまみれさせられてしまうという現象が起こりだす。すると、先人が後世の人間の幸福の源とも思い、よかれと思って苦労して築いてきたであろうはずの技術も社会基盤も、今度は依存症を生み出す元凶となってしまう。この構造は、さまざまな問題をややこしくしているものでもある。