フェミニズムに閉じ込められるような人ではない


 世阿弥作とされる能の「蝉丸」からタイトルがとられた「逆髪」が、次の仕事だった。
「蝉丸の姉、逆髪の話をされて、ふーんとわけもわからず聞いていて、髪が逆立っているというのはいかにも富岡さんらしいじゃないかと思うわけですよ。富岡さんはいろいろ考えているけど、滋賀の大津に蝉丸神社があるっていうので『行くしかないじゃないですか』とか、こちらは適当なんです。あるとき、石坂クン、文学はなんのためにあるか知っているかと聞かれました。昼間、お茶を飲みながら。『石坂クン、文学は、一匹の迷える子羊のためにあるんだよ』とまた冗談みたいに言うんです。涙ボー、です。あ、この涙ボーも、富岡さんが何かに感動した時によく使っていた言葉です」
 ちょうどそのころ、「白光」が「新潮」87年7月号に一挙掲載される。舞台は作家の夫、菅木志雄の故郷盛岡で、血のつながらない家族を描いてその終わりまでを書く。単行本の帯は、作品中の一文「立ち止って休むと凍死するよ、氷河を渡ろうとする者は」。先述の鼎談「男が変るとき」で語られたアメリカのレズビアン・コミューンに触発されたと思われるが、「文學界」の男性評者3人による「快著会読」で、川本三郎はこれを「女性小説」と呼んだ。当時、アメリカのフェミニズム色の強い映画が「女性映画」と呼ばれていた。だが、石坂は、富岡作品がフェミニズムの文脈で語られることを断固として拒否する。
「フェミニズムに閉じ込められてほしくないですよ。富岡さんが亡くなったときに、新聞の訃報はみんな代表作が『波うつ土地』と『男流文学論』となっています。ふざけんなです。フェミニズムの代表者みたいに言われて、富岡さんはわかってやっていたんでしょうけれど、富岡さんはフェミニズムという狭い場所に押し込められるような人ではないんです」
「白光」を発表時に読んだとき、石坂はすごい傑作だと感じた。ただし、である。
「『血のつながらない家族』をつくろうとする登場人物の女性たちはどうすれば満足なのか、なにを望んでいるんだろうかと思いました。ちょうど1980年代の後半、俺も富岡さんとは関係ないところで、家族、夫婦というのは資本主義社会がつくりあげた方法論だと薄々気づいてはいました。でも、『白光』では『家族』って言葉を使っている、『血のつながらない家族』ってなんだろう? この言葉はユートピアをつくろうとするような言葉に聞こえるけど、私たちはどこから来てどこへ行くのだ、みたいな気分になるわけですよ。富岡さんは、またひとり荒野を歩いている。そう思いました」
 石坂の感じたその気分は、富岡の最初の小説 「丘に向ってひとは並ぶ」にも通底する。