富岡さんがいなくなった世界
「富岡さんは、よく賃仕事って言っていました。単なる賃仕事で、あんなに切実に命を削ったように小説を書いていたわけがないと思いました。仕事があるうちはいいとも言っていましたけれど、だから表現やめたとき、ふざけんなと思った。文芸ジャーナリズムにも流行りすたりがあるから、富岡さんの仕事をちゃんと評価できる人がいなくなったら嫌だなと思ってました。富岡さん自身も仕事はやり尽くした気持ちだったかもしれないけれど、『表現の風景』のころ、世の中の現象を誰よりも敏感に感じ取っていた人が、本当にそんなことを言えるんですかと言いたかった。富岡さんは大人で、ちゃんと戦略的だし、利用できるものはなんでも利用するタイプだし、ミーハーだし、だから、もう興味がないなんて本当なの? と思うわけですよ。編集者としてなにか書いてほしいとは思わないけれど、人間としてなにかにしがみついてもっと嫌なことをやってほしかった気がするんです」
最後に言葉を交わしたのは、2021年だった。電話で「会いに行きますよ」と言うと、富岡は「来なくていい」と言い、「冷たいこと言うなぁ。また電話かけますよ」と受話器を置いた石坂に、2年後、「恩人」の訃報が届く。
「自分のなかの歴史がひとつ終わった感じです。編集者と作家って共犯関係みたいに言われるけれど、富岡さんが犯行を犯すそばに俺がたまたまいたというぐらいの感じはあるわけです。もらっているものが大きすぎて……。それまで富岡さんがいる世界があって、あの日から富岡さんがいなくなった世界が続いている」
作家から着物まで何枚かもらったという石坂が取材場所に持参していたのは、組になった菓子皿の1枚。臙脂に金の模様がはいって、料亭で使われているようなものだ。皿のしまってあった引き出しをあけるたびに、元編集者は「おーい、富岡さん」と呼びかけたくなる。
※次回は4月22日に公開予定です。
(バナー画提供:神奈川近代文学館)