日本の箏の基礎を作り上げた八橋検校

この連載でも以前に説明しましたが、江戸時代、目の不自由な人は「当道座」という組織に属し、琵琶、平曲、鍼灸、箏曲、三弦などの習得に努めていました。

検校、別当、勾当、座頭の4官、73刻みの位階で構成される当道制度があったそうで、このあたりのことは戦前に活躍された民俗学者・中山太郎(1876~1947)の『日本盲人史』(1934年)に詳細に記されています。

八橋検校は現在の福島県に生まれ(異説アリ)、名は城談もしくは城秀。寛永年間に摂津において、三味線の技で名を挙げました。

その後、江戸に下り、筑紫の僧・法水という方に師事して筑紫流箏曲を学びました。その後、この箏曲を基に、現在の日本の箏の基礎を作り上げたのです。