各界で活躍した「検校」
箏曲といえば、「宮城検校」と呼ばれた宮城道雄(1894~1956)の名を忘れるわけにはいきません。
神戸に生まれ、8歳で失明した道雄は生田流の箏を学び、11才で免許皆伝を受けました。14歳で処女作『水の変態』を作曲、伊藤博文に認められました。この後、作曲家、演奏家、さらには随筆家として幅広く活躍し、東京芸大で後進の指導にも当たりました。
お正月に至る所で流れる名曲『春の海』は道雄35歳の時の作品です。
音楽関係以外でも、目の不自由な方は大きな仕事をされています。
まずは杉山検校(1610~1694。名は和一。伊勢国安濃津(三重県津市)出身の鍼灸師です。
鍼を管に通して打つ施術法である管鍼法を始めました。鍼医として5代将軍徳川綱吉に仕え、その支援を受けて「杉山流鍼治導引稽古所」を開設しました。
この稽古所は鍼・按摩技術の取得を目的とした教育機関で、世界初の視覚障害者のための教育施設とされています。