20年ぶりの邂逅
富岡は、松井が1年前に上梓した武智鉄二の思い出を綴った『師父の遺言』を「よく書いた」と大層ほめて、「会おうよ」と岩手の山荘を閉じてから購入した琵琶湖畔の別荘へ誘った。富岡は松井に連絡できる機会をずっとうかがっていて、1年逡巡してやっと電話できたのだろう。
20年弱ぶりに会う富岡は、マンションの一室で近所で買ったというお惣菜を用意して待っていた。書かなくなっていた富岡は80歳で、直木賞はじめ数々の文学賞を受賞していた松井は62歳になっていた。
「今になってみると、富岡さんの『あんた小説、書きなさい』は言霊だったかもしれないと思います。私も実際、小説を書いてみると、小説のなかに人生で出会ったひとの面影を投影できるんですね。ひととの出会いをそういうふうに再現する方法もあるんだと思えて、ずっと小説を書き続けてきたんですけど。でも、富岡さんが思っているような小説では全くないところがミソなんですが」
このときは、会わなかった時間を忘れるほど、忌憚のないおしゃべりを堪能した。
「ずっと会っていたころと全然変わらなくて、陽気で、しゃべりやすい富岡さんでした。私と会っていたときは、『私は鬱だ』とおっしゃいながら、いつも明るかったから、そんな病気とはわからなかった。でも、非常に知的でありながら、すごく幼いところや、それでは収まりきれない強い情念みたいなものが一方にある。ああいう方が自分を保つのは大変だったと思います」
「また会おうね」と約束して別れて、遠慮があって会えないままに時間は過ぎてゆき、2023年4月10日、松井は突然富岡の訃報に接することになる。知らせを聞いたその夜が通夜だったため、とにかく書きかけの原稿を手にし、果てしなく遠く感じた伊東の斎場まで出向いた。知った文壇関係者の顔は見当たらず、供花も講談社が目についたのみ。
遺族挨拶に立った菅によれば、富岡は晩年家にこもり、徐々に食事を摂らなくなって自ら死に向かっていったようだった。松井は、即身仏を書いた「雪の仏の物語」と、もうひとつの富岡作品「弱肉」を思い浮かべずにはいられなかった。自分は絶対自殺はできない、と書いてあったはずだ。
お棺のなかの富岡は、なんらかの憤りを抑えた不機嫌そうな顔をしていた。
※次回は5月15日に公開予定です。
(バナー画提供:神奈川近代文学館)