20歳 入社式に「3カ月」遅刻した驚異の新人
一三は明治6(1873)年、山梨県の韮崎町の裕福な商家に生まれました。
小説家を志した一三は、15歳で慶應義塾に入学すると、学業そっちのけで執筆活動に夢中になりました。
ある日、東洋英和女学院校長が何者かに殺されるという事件が起きると、一三はすぐさま関係者にあたりました。そして取材内容を小説にして、「山梨日日新聞」で「練絲痕(れんしこん)」というタイトルで連載を始めることになったのです。
新聞小説がまだ珍しい時代で掲載のハードルが低かったとはいえ、事件を取材して作品を書き上げ、新聞社に提案しているのですから、なかなかの行動力です。いきなり夢に向けて確かな一歩を踏み出すことになりました。
しかし、あまりに事件から日が浅かったため、関係者ではないかと疑われてしまい、一三は麻布警察署から取り調べを受けることに……。連載も中止に追い込まれてしまいます。
一三は大学卒業後、新聞社への勤務を志望します。理由は、「小説家になるのに一番の早道は新聞社に勤めることだ」と聞いたからでした。
意気揚々と都新聞(現在の東京新聞)に応募しますが、結果はあえなく不採用。結局、一三は三井銀行に就職しました。明治26(1893)年、20歳になったばかりのことです。
それでも、小説家になる夢を諦めたわけではありません。銀行に勤務しながら、挑戦を続けようと一三は考えたのです。
仕事を持ちながら別の夢を追うのはよいですが、一三の場合は、仕事へのやる気のなさがあからさまでした。入社日を迎えても一向に出社せず、実に「3カ月」も遅刻しています。3日ではありません。3カ月です。
しかも、何か特別な事情があったわけではなく、出社日を迎えても、ただ実家でのんびりするばかり。その後は、熱海の温泉旅館で療養し、旅先で女性に恋したりしているのだから、呆れたものです。