38歳 借金をしてまで、鉄道を開通させる

この道かと思えば、たちまち壁にぶつかり頓挫する──。

一三の人生は、その繰り返しです。今回もまたダメかと思いかけたことでしょう。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

しかし、もう後はありません。一三はいま一度、沿線を自分の足で歩きはじめました。すると、あることに気づきます。

「今はこの沿線地域の可能性に誰も気づいてはいないが、今後経済の中心である大阪に通う人たちにとっては、住宅地域として理想的な環境といえるところが各所にあるではないか。電車が通ることになれば、この地域一帯はまちがいなく高級住宅地になるぞ」

もしかしたら、一三は不遇な自分と、この誰も見向きもしない沿線とを、重ね合わせたのかもしれません。

一三は岩下に未引受株の引き受けをお願いしながらも、自分もリスクをとり、株をできるだけ引き受けようと考えました。

急いで上京し知人を訪ね歩くと、合計1万株を引き受けてもらうことに成功します。また、自分も退職金を注ぎ込んだうえで、親戚縁者から借金をして回りました。

そんな熱意が伝わったのでしょう。岩下が残りの株を引き受けてくれることになり、一三は鉄道事業に乗り出すことになりました。

しかし、もう一つクリアしなければならない問題がありました。それは、箕面有馬電気軌道株式会社には、発起人による創立委員会が組織されていたこと。これから沿線を盛り上げるべくすぐさま手を打とうと考えていた一三からすれば、みなで議論して意見をまとめている暇などありません。

一三は委員長にかけ合って「自分に権限を持たせてほしい」と直談判します。当然、断られますが、「ほかの発起人たちや株主たちに一切、損はさせない。会社が設立できなければ証拠金はすべて返す」という条件まで出して、全権を委任してもらうことに成功。ただでさえ借金もあるなかで「もう絶対に成功させるしかない」という状況へと、一三はさらに自分を追い込んだのでした。