41歳 「宝塚少女歌劇団」発足

このように、一三が立てた作戦は多岐にわたるものでしたが、その極めつきともいえるのが、宝塚と聞いて誰もが最初に連想する「宝塚歌劇団」の前身、「宝塚少女歌劇団」の発足でしょう。

婚礼博覧会というイベントの余興として、一三は少女による歌劇を始めました。当初は、あくまでも鉄道の販促物として誕生した歌劇団でした。

(写真提供:Photo AC)

しかし、公演料を取っても連日満員になるほどの実力をつけていき、宝塚少女歌劇団はいつしかプロの劇団へと成長していきます。

やがて、「宝塚音楽歌劇学校」が設立され、一三が校長に就任しました。

こうして、主要街道も通らぬ殺風景な村落に過ぎなかった宝塚は、遊び心満載の一三ならではのアイデアで、人の集まる賑やかな観光地へと変貌を遂げたのです。

連動して箕面電車も潤い、順調な営業成績から、日本で初めての社債200万円の売り出しが成功。すべては一三の「鉄道に人を呼びたい」という強烈な思いが結実したものでした。