では、どうすれば執着を手放せるのでしょうか。それには、ものの見方を変えることが重要です。お寺を訪ねてくるシニアの檀家さんは、よく「年を取っていいことなんて何もない」と私に訴えます。
けれど、本当にそうでしょうか。確かに年を重ねれば、気力、体力、記憶力は衰えるかもしれませんが、経験を積むことで得られる心の豊かさもあるはずです。
私は30代の頃、自分の悪口を耳にするたびに、悶々として眠れない夜を過ごしていました。けれど66歳になった今では、悪口を耳にしても「またあの人? 悪口が服を着て歩いているような人だからね、気にすることはない」と流せるようになりました。これこそ年の功。人生の経験値が増えたことで心が広くなったのでしょう。
また、仏教には「嘘偽りのないことは素晴らしい」という考え方もあります。その視点で考えると、「人は誰しも年を取る。それは嘘偽りのない真実であり、素晴らしいことだ」と解釈することもできるのです。
このように、「老い」を「衰え」と決めつけるのではなく、「経験を重ねたことで寛容になった」「老いには嘘偽りがない」と違った側面からとらえれば、「年を取るのも悪くない」と思えてくるのではないでしょうか。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがありますが、頭の中につねに3人分の考えを持つことができれば、ネガティブな感情が湧いても、「待てよ、違う見方をすればプラスに考えられるぞ」とポジティブに転換できます。
雪が降った時、「道路が滑って嫌だな」で終わらず、「犬は喜ぶだろうな」「長靴やスコップを買う人が増えて、ホームセンターが繁盛しそう」と見方を変える。すると、「そう思えば腹も立たないな」と心の許容範囲が広がります。これが、仏教で言う「観自在(かんじざい)」、つまり物事を自由自在に見ることです。
こうしたものの見方を体得することで、「そう考える人もいるよね」「自分の都合にこだわっても仕方がないね」と《ベキベキ星人》を卒業し、おだやかな気持ちを手に入れられます。