止まらない冤罪事件
冤罪はやまほどありますが、裁判官の偏見が明らかになったのは、女子高生への痴漢をめぐる裁判でしょう。決め手の証拠がなく水掛け論状態にもかかわらず、たまたま満員電車に乗り合わせたビジネスマンに有罪判決が下っています。
裁判官に、被告人は犯人だろうという先入観があり、何らかの「証拠」が出てくれば、無罪の人が有罪になることはありえるのです。この先も裁判所はいくらでも冤罪をつくり出す危険性があるのです。裁判官が普通の俗人となんら変わりがないからです。
以前、著名な元裁判官が大学の講演で、「君たちはどうやって判決を出すと思うか。理屈を積み重ねて結論に至ると思っているかもしれないが、裁判の実務では結論を決めてから理屈を練っている。そして、最初の結論は、『全人格的直感』によって決める」としゃべっていた場面に居合わせて、腰を抜かしそうになったことがありました。
何が、全人格的直感かと。直感は直感でしかありません。裁判官だからといって特別な直感などあるはずもない。いい加減な人ってどの世界にもいるのです。裁判官も同じです。