横綱の話をいろいろしていた
私が大相撲のテレビを見ていると、両親は私が聞いたことがない四股名の横綱の話をいろいろしていた。相撲史に残らない街の噂のような話もあった。
今年の春場所、新序一番出世を受けた山野邊(15歳、出羽海部屋)の高祖父は常ノ花(第31代)だ。父からは常ノ花の櫓投げ、母からは常ノ花は引退後、出羽海親方となり、戦中・戦後の混乱期に理事長として大相撲の再建に尽くしたことを聞いた。
今年の春場所に、解説の舞の海さんが、照國(第38代)という力士がいて、色白で相撲を取っていると体が上気して赤くなるので「桜色の音楽」と言われていたと話していた。照國の横綱土俵入りを知っている母は、土俵入りで体がだんだん赤くなり「桜色の音楽」そのものと言っていた。
私が大相撲を知ったのは、栃錦(第44代)と若乃花が活躍した大相撲の黄金期。母は若乃花のファンで父は栃錦のファン。栃錦と若乃花の対戦の時は、父は友人の家とかに行ってしまい、母と一緒にテレビを見ることがなかった。気まずくなるのが嫌だったのだろう。父が帰ってくると、勝敗に関わらず、お互いに無言で、兄も私も子ども心に「離婚だな」と思った。母は栃錦に限らず、若乃花が負けると夕食を作る気力がなくなり、蕎麦屋に電話をしていた。