窓ガラスを割りいざ家の中へ

ようやく家に入ることができたのは2024年5月。叔母を車に乗せて叔父の家へと向かう道中、これから人生で初めて窓ガラスを割るのだと思うと、そわそわとして落ち着かなかった。

ガラスが飛び散らないよう用意してきたガムテープを窓ガラスに貼り、金づちで叩く。古いガラスだからか思いのほか簡単に割れ、恐る恐る窓を開けた。

私とて70代、友だちの中には骨折する人も増えてきているのだから、窓から室内にポンと飛び降りるのは難しいだろう。箱を重ねて台にして上り、窓のすぐ下に見える段ボール箱に足をかけて、降りることにする。

一体私は何をしているのだろうと思いながら、悪戦苦闘の末に中へ入った。内側から玄関の鍵を開け、叔母に入ってきてもらう。倒れている叔父を最初に見つけた叔母だった。2人でリュックからペットボトルを取り出して床に供え、手を合わせた。

叔父は過酷な青春時代を送った人だった。戦時中に、父親が肺結核になり、きょうだいも次々に感染。まだ11歳だった叔父が中学校にも行かず、マンガン鉱山で働いて家族を養ったのである。結核患者を出した家は爪弾きという時代。一家はよく生き延びたものだ。

合掌を終え、一通り家の中を見て回った。どうやら一番恐ろしいのは、電気を止められて1年半が過ぎた冷蔵庫と冷凍庫だ。恐る恐る扉を開けてみると、意外にも味噌と麹が2つあるだけだった。スーパーもコンビニもない地域でこれは意外。