時々、私やいとこが食料を送っていたが、ちゃんと食べられていたのか、今さらながら不安に思う。あるいはAが空腹のあまり残った食料を持っていったのか……。想像すると胸が苦しくなった。

叔母が確認したところ、500円玉が入っていたペットボトルがなくなっているというから、やはりAは一度来たのだと思われた。

気を取り直しさっそくゴミ収集日のカレンダーを見ながら、あれこれゴミ袋へと詰め込んでいく。叔母がお昼抜きで頑張ろうとするのを止め、初回は早めに切り上げた。叔父の家から自宅までは車で4時間。片づけの時間より運転しているほうがずっと長いのだ。

定期的に通って片づけを続けていると、裏に住む人が声をかけてくれた。ゴミに出していた古いすり鉢が欲しいという。喜んでお譲りし、少しばかりのおしゃべりに癒やされた。

住民同士の深いつき合いがある地域だから情報がすぐに伝わるのであろう。衣装ケースや畳が欲しいという人がいらして大助かり。結局、テレビや踏み台、ペンキ……などさまざまもらってくれる人が現れた。

二槽式洗濯機が3つも出てきたり、48年前の私の結婚式の礼状が顔を出したり。あれこれ驚きながら、週に1度くらい片づけに通った。あっという間に2ヵ月が経ち、車から見える北海道の景色は、桜にアジサイ、ウツギと少しずつ変わっていく。私が花好きなのを知っていた叔父が、お礼に美しい花々を見せてくれているような気がしてならない。

叔父は自分の働きによって家族を養ってきた自負があるからか、言葉がキツく、私は少し苦手だった。それでも片づけを通して、何だか叔父の知らない一面を見たように思う。遺品整理をできるのは、ひょっとしたら幸せなことなのかもしれないと感じた。