「人生は甘くないと言えるわけですが、僕はピンチのたびに立ち止まり、どうすればいいんだろう? と考えながら成長してきた気がします」(撮影:岡本隆史)
老若男女を問わず、絶大な人気を誇るロックバンド「エレファントカシマシ」のボーカル・宮本浩次さん。デビュー30周年を終えたばかりの2018年、弊誌でインタビューに応じた際の記事を再掲します。老若男女を問わず、絶大な人気を誇るエレファントカシマシ。30年余の長い間、音楽シーンを引っぱってきたその陰で、ボーカルの宮本浩次さんが考えてきたこととは(構成=丸山あかね 撮影=岡本隆史)

幾多のピンチを乗り越えて

デビュー30周年を迎えた2017年は、充実した1年でした。記念ベスト盤をリリースしたり、念願だった47都道府県ツアーを開催したり、曲作りの依頼もたくさんいただきました。

NHKの『みんなのうた』からのオファーを受けて「風と共に」を発表し、そのほかにも2曲。『FNS27時間テレビ にほんのれきし』のドラマ主題歌「RESTART」と、NHK BSのドラマ『全力失踪』の主題歌「今を歌え」を書きおろし……。

それから大晦日には、『NHK紅白歌合戦』に初出場するというキラキラした出来事もありました。

紅白で歌った「今宵の月のように」は、1997年に『月の輝く夜だから』というドラマの主題歌になって、80万枚売れたバンド史上最大のヒット曲です。僕らの代表曲ともいえる歌を国民的歌番組で高らかに歌うということの歓び、わかってもらえますかね? エレファントカシマシというバンドの存在や歌が肯定されているんだ、という実感を得られた体験でした。

「やってきてよかった!」と疑いもなく思うことができたし、「聴いてくれ、俺たちの演奏を」と、胸を張って舞台に立つこともできた。感無量だったというか……、とにかく非常に嬉しかったです。

音楽を夢中でやってきて、30年はあっという間に過ぎました。でも、振り返ってみると山あり谷あり。いろいろな時期があったなと思います。


中学校の同級生(宮本浩次、石森敏行、冨永義之)と冨永の高校の同級生(高緑成治)の4人からなるロックバンド、エレファントカシマシ。高校時代からライブハウスで活動し、88年にエピック・ソニーからメジャーデビューを果たした。

宮本が作詞・作曲を手がける楽曲や独自の表現で注目を集めながらも、CDの売り上げ不振から94年に契約を切られ、その後もレコード会社の移籍を繰り返す。

07年にユニバーサルミュージックの所属となり、第1弾シングル「俺たちの明日」がCMに起用されるなど順調に活動を続けるも、12年には宮本が急性感音難聴に。ライブ活動休止を余儀なくされたが、翌年9月、日比谷野外大音楽堂にて行われた「復活の野音」で活動を再開した。


人生は甘くないと言えるわけですが、僕はピンチのたびに立ち止まり、どうすればいいんだろう? と考えながら成長してきた気がします。たとえばエピック・ソニーの契約を切られた27歳のときは、事務所も解散して、収入もゼロ。大きな挫折だったし、不安で不安で。

ところが人って、苦境に立たされて初めて発揮できる潜在能力を秘めているんですよ。Mr.Childrenとかスピッツとか、当時、花盛りだったJポップを研究して、どうしてもヒットを出したいと作ったのが、96年に発表した「悲しみの果て」と「四月の風」。この曲で僕らは売れちゃったわけです。(笑)