「いつか大人の、というか究極のラブソングを作りたいですね。向き不向きは別として」

 

20代の終わりの頃、ある人から「宮本君の歌は母性愛の強い女の子にしか受け入れられない。もっと普通の女の子の心に届く歌を作れたらいいね」ってアドバイスされたんです。母性愛の強い女の子というのは、「俺は男だ、行くぜ!」みたいな歌を歌っていても応援してくれる寛容な女性という意味なんだけど、当時はどうすればいいのかさっぱりわからなくて。頭を搔きむしりながら書いたのが「悲しみの果て」という歌。あの曲の歌詞が、精一杯の愛情表現だったんですよ。ハハハ。

だから、はじめてユーミンの「翳りゆく部屋」を聴いたときは度肝を抜かれました。僕はあの、恋愛をシビアな視線で分析する鋭さに憧れています。

人を好きになる気持ちに大人も子どももないけど、若い頃の恋愛と大人の恋愛は本質的に違うと思う。恋愛に限らず、大人になれば誰だって、永遠に続く幸せはないと知っているはずで。出会いと別れはセットだし、大切な存在であればあるほど別れがツラいとわかっている。

でも、だからこそ輝きを抱きしめたいと切に願うのでしょう。さらに言えば、ラッキーだけを願うのではなく、どんなことが起きても乗り越えていこうという勇気や覚悟が大事で、そこに真の希望があるのだと思います。

いつか大人の、というか究極のラブソングを作りたいですね。向き不向きは別として。

 

母という存在が優しすぎて

僕は女性をリスペクトしているんです。その根源にあるのは母親。僕の歌手人生は、「この子は歌が好きなんだ」と見抜いた母が、NHK東京児童合唱団に入れてくれたところから始まりました。

歌うことが好きなのは母譲り。子ども時代、川崎大師へ初詣に行くのがわが家の恒例行事だったんですけど、母は父が運転する車で赤羽の自宅から川崎へ行く道中、ずーっと歌っているような人でしたから。