先日、母の七回忌法要を終えましたが、74歳で他界する前の年までコンサートに来てくれていたんです。大音量だからって耳栓をして(笑)。生きていたら、「風と共に」を聴いてさぞかし喜んだろうと思います。NHK『みんなのうた』に登場したのは、10歳のときにソロで「はじめての僕デス」を歌って以来、40年ぶりのことだったから。

結局、小学校5年で合唱団はやめてしまったんですけど。「歌のレッスンは女の子みたいだから恥ずかしい」と訴えたら、母は「そんなこと言っているけど、いつかプラスになったって私に感謝するときが来るわ」と、息巻いて言っていました。本当でしたね……。でも当時は素直になれなくて大喧嘩をしたりして。

今にして思えば、お母さんという存在が優しすぎて、「あなたは私のものよ」的な母性が疎ましく感じられる反抗期だったんです。そのときも勢いに任せて「うるせぇ!」って叫んじゃったんですけど、完敗でした。母は「なによ、あんたなんか、私から出てきたくせに」って、いわば伝家の宝刀を抜いたわけですよ。それを言われちゃ、ぐうの音も出ない。(笑)

なんだかんだ言っても、母の言葉は自信を与えてくれました。レコード会社の契約を切られたとき、「なんで俺たちの歌は売れないんだろう?」とぼやく僕に、「大丈夫よ。だってあなたは大器晩成型だもの」って。「母さん、なんで俺、人望がないんだろう?」とこぼしたときも、「人望なんて、これからよ」って即答してくれて、ありがたかったな。

こんなふうに折に触れて母を思い出す僕は、きっとマザコンなのでしょうね。理想の女性も、母のような無償の愛で包んでくれる優しさと、色気が両立している人です……、って大丈夫ですか? こんなこと公言しちゃって(笑)。でも、広い世界の中には、僕にとっての理想的な女性も存在することでしょう。支え合って、楽しい時間を共有するパートナーって大事だと思います。

とはいえ目下のところ、いい歌を作って、いいライブをして、たくさんの人に喜んでもらうこと以上に嬉しいことがあるとは思えないんです。歌を通じて、もっと気楽に生きていこうよと伝えたい。自分にふさわしい人生を生きて、無理しないでと。

「いつも元気を与えてくれて、ありがとう」って言ってくれる人がたくさんいるんだけど、僕らもみんなに自信をもらって、どんどん元気になるんです。この明るいエネルギーのキャッチボールが成立しているうちは走り続けたいと思っています。