タバコ、セクハラ、肩もみ

わたしが会社に勤めたのは、1972年(昭和47年)から2006年(平成18年)までの34年間である。25歳から59.5歳までだった(定年退職、と書いているが、実際には定年より半年早かった自己都合退職だったのである)。

転職をしなかったから、知っている会社は、勤めた会社1社である。極小の会社だったが、他社と比較することなく(比較するまでもなく)、非常にいい会社だった、とほめちぎった。

しかし、それでも昔の会社だった。時代の限界はあったのである。いまにして思えば、仕事をする環境としては最善ではなかった。

わたしが会社に入った当初は、タバコは喫いたい放題だった。わたしも当然喫っていた。まだ社会全体がそういう風潮だった。

街中でも喫いたい放題である。いまでは信じられないだろうが、駅でも電車のなかでも喫煙はあたりまえ。

映画館でも上映中に煙がモウモウだった。地下鉄の電車内は記憶がないが、ホームでは喫っていた。

吸い殻はどこでも地面に捨てた。この状態があたりまえで、だれもこれがよくないとは思っていなかったのである。が、徐々にタバコの害がいわれ始めた。アメリカ経由だ。

タバコの箱に、喫煙は健康に害があると印刷されるようになり、電車では禁煙、映画館でも、つまり公共の施設では禁煙になった。

会社のなかでも、女子社員たちが、タバコの煙が彼女たちのほうに流れると、手で払う人が出てきた。

「まったく男たちは!」と、窓を開ける人も出てきた。さすがに、こちらもそれなりに気を遣うようにはなった。それでも、世の中から喫煙者が減るとは思えなかった。

それがいまや、喫煙者は20歳以上の約15%まで落ち込んでいる。日々の感覚ではもっと少ないように感じられる。むろん、いいことだ。やればできるのである。

 

セクハラという言葉は皆無だった(写真提供:Photo AC)