「作造り」という咎めのない殺人も…

江戸時代に人を殺せば間違いなく死刑ですが、牢の中での出来事については、役人たちも見て見ぬ振り。

作造りの場合も「病気で死にました」と届け出れば、咎めはありませんでした。

牢内には、脱出を阻止するために窓がなく、通風や採光は望めません。

汲み取り式のトイレから大小便の悪臭が立ち込める空間に多数の収容者を閉じ込められるのですから、そもそも内部の環境はこの上なく劣悪だったことでしょう。

結果として、牢内での死者はきわめて多く、たとえば弘化元年(1844年)正月から12月までの死亡者は626人もいたそうです。

現在の中央区日本橋小伝馬町にあったとされる「伝馬町牢屋敷」で獄死したとされる源内も、入獄からおよそ1か月、罪状が決まる前に亡くなってしまいました。