牢内ではリンチが横行

このように牢内には、犯罪者の自治組織があった。でもそれは、けっしてクリーンなものではありませんでした。

まず牢内では弱い立場の受刑者らへのリンチが横行したようです。

というのも、牢の収容者の総数は、江戸時代後期には300人から400人、多いときは700人から900人に達した、といいます。

入牢者の増加は、受刑者の牢内生活の息苦しさに直結します。そのために「作造り」という殺人まで行われました。

これは人員削減を目的としていて、入牢者の恨みを買っている者(元岡っ引きや目明かし)、いびきがうるさい者、病気をもっている者、牢外からの付け届けがない者などが標的にされました。

作造りの際には、きめ板と呼ばれる厚板で打ち据えるほか、首を絞める、濡れ手ぬぐいを顔に押し当てる、等々の方法が用いられました。

時には陰嚢を強打する(想像するだに地獄です)、大量の大小便を食べさせる(からだ中に吹き出物ができて死に至る、という説明を読んだことがあります)など、言語に絶する手段が採られることもあったようです。