報酬系が違ったはたらき方をする人

報酬系を活性化させるものは人類共通で、美味しい食事、人との交流、セックスなどだ。ただし個人差もあり、私の場合は音楽を聴くと活性化するが、テレビでスポーツの試合を観ても何も起きない。人によって活性化される要因が違うのは不思議でも何でもない。蓼食う虫も好き好きということわざがあるくらいなのだ。

ただ、生まれた時からこの報酬系が少々違ったはたらき方をする人がいる。報酬系が鈍くて、普通なら活性化されるようなことではされないのだ。誰かの話を黙って聞いたり、テレビを観たり、新聞を読んだりするぐらいではだめで、もっと強烈な体験が必要になる。エンジンをかけるのに普通より多く燃料が要る車のような感じだ。人間の場合、燃料に相当するのが「強烈な体験」ということになる。

そんな人たちにとって世界は陰鬱で退屈だ。たいがいの人が「ちょっと退屈だな」と思うようなことが「苦痛なほど退屈」になるし、ドイツ語の単語を覚える努力といったようなことが耐えがたい苦行になる。

『多動脳:ADHDの真実』(著:アンデシュ・ハンセン 翻訳:久山葉子/新潮社)

普通なら「面白いから続けた方がいい」と語りかけてくる報酬系が「この先生の話は面白くない。だから他のことを探せ!」「この本もちっとも面白くない。だから探し続けろ!」と命じるのだ。そのため報酬系を活性化してくれるものを大小かまわず探し続けることになる。

しかしそんな調子では集中力が続かない。「これは面白い? いいや、面白くない。じゃああれは? いいや、あれもだめ。じゃあもっと探そう!」となるのだから。

絶え間なく刺激を探し回る人は集中することができず、注意散漫だと思われるし衝動的で多動にもなる。どこかで聞いたような特徴だろうか──そう、ADHDだ。